江戸 金龍山浅草寺
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広重の浮世絵、名所江戸百景の中から「浅草金龍山」を元にした作品です。
150年前の浅草寺の姿です.
有名な「雷門」の大提灯も広重のころは「志ん橋(新橋)」と書かれていました。
奥の仁王門(現在は宝蔵門)の右に五重塔が見えますが、現在は左側に再建されています。
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現在の「浅草寺」と大きく異なるのは、
大提灯の文字が雷門ではなく「志ん橋」だったこと、
門に扉があって夜には閉められていたこと、
仲見世の佇まいも違います。
絵の中の当時の建物はすべて消失してしまい、現在見られるものは全部再建されたものです。
雷門は1865年 (慶応元年)に焼失した後、
100年ほど再建されず1960年(昭和35年)に松下幸之助氏によって
鉄筋コンクリート造で 再建されました。
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初摺りが出されたのが安政三年七月(1856年)、
なぜ広重は夏の只中に冬の景を持ってきたのか謎でしたが、
最近の研究で 隠された意味が明らかになってきました。
実は絵の出される前年の安政二年、巨大地震が襲い江戸の街は大きな被害を 受けました。
浅草寺の五重塔の先端の九輪も曲がってしまいました。
今で言えば東京タワーの先が曲がってしまったような 状況でした。
翌年の安政三年五月に塔の修理が終わり元の姿に戻りました。
復興の進む街のシンボルの復活を祝うための紅白。
それゆえ建物や提灯の「紅」と雪の「白」が際立つ絵となったので
す。
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現在の浅草寺「雷門」
24時間開けっ放しというか、そもそも門扉がありません。
観光に人気の場所だけあって大勢の人々で賑わっています。
仲見世も華やかでなかなか広重のころの姿が想像できません。
奥に見える屋根が宝蔵門(仁王門)です.
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上に跳ね上がる蔀戸になっています.
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杉にも風格があります.
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苔にも様々な色合いがあります.
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本堂の往生極楽院(重要文化財)です.
寛和元年(985年)の建造と伝えられています.
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ここは本堂の背面にあたり、中に金色の
阿弥陀如来が鎮座されています.
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宸殿の虹の間、天井に向かって伸びる大胆な
襖絵は下村観山の筆によるものです.